人に(半ば拉致されるようにw)誘われて、昨日観に行ってきました。
思えば、ジブリ映画をスクリーンで観るのって初めてです。
そんなですから、ストーリーもまったくノーチェック。
前知識0%での鑑賞です。
東京オリンピックを翌年に控えた1963年の横浜を舞台に、
けなげな下宿屋の長女・海と、新聞部の編集長で熱血もて男の俊をめぐる、
熱い青春と純な初恋の物語。
この映画の、何に目を奪われるか、ってのは人それぞれに違うと思う。
「三丁目の夕日」みたいなレトロな暮らしぶりを珍しいと思う人もいるだろうし、
登場するすべての高校生たちの純粋さに目を見張る人もいると思う。
二人のまっすぐに相手を思いあう真心に胸きゅんする人も多いのかな。
二人の通う高校の、文化部が集う魔窟のような古い洋館「カルチェラタン」の
取り壊しをめぐる高校生たちのやりとりがやたら熱い。
俊の作る学生新聞は、取り壊しを画策する学校側に断固として物申している。
ああ、こういう時代がたしかにあった、とかすかな記憶が私の中にもあります。
私の通っていた公立高校、服装は自由で、
私自身もかろうじて1年のときは制服(強制ではないので「標準服」と呼んでいた)を
着用していたが、2年以降はずっとジーパン(当時はそう言ってた)にTシャツという
軽装で登校していました。
で、この服装の自由も、我々の何世代も前の先輩たちが
「服装自由化」を旗印に学校側と強くぶつかり、
粘り強い交渉の末に勝ち取ってくれた「権利」であると、
世代を経て私たちは申し渡されてきました。
「権利」であるからには、それを無にしちゃいけない、
きちんと連綿と後輩たちに伝えていかないと、と、
私自身、小言を言う母親を向こうに回し、
頑張って私服を着て通っていたという面も、わずかながら確かにあります。
私たちの学年になっても、新聞部はやはり「カルチェラタン」と呼ぶにふさわしく、
学生側からの「異議申し立て」の巣窟であり、
私のようなパンピーの目には少しく怖いような男子女子たちが
新聞部の部室に巣食っていたもんです。
携帯電話やパソコンのない、ある意味牧歌的な時代でした。
「コクリコ坂から」は、ある程度の年齢以上の鑑賞者の、
どこかに置き忘れてきた何かを刺激する。
それはノスタルジーではない、ある種の軽い痛みを伴うかもしれない。
そして、若い人には、「『熱いこと』『礼儀正しいこと』はかっこ悪いことではない」
という意識をちらりとでも持てるといいなと思う。
# by fenmania | 2011-07-18 15:49 | 映画・演劇