小栗くん主演の「時計じかけのオレンジ」、観てきました。

河原雅彦演出、小栗旬主演の「時計じかけのオレンジ」。
キューブリックが監督した映画では、ベートーベンの第9にのせて
キッチュでカラフルで悪夢のような映像がとめどなく流れ出ていて、
とても主題とか何とかを考えるいとまがないままに、
「新感覚古典」として私の中に仕舞われたままでした。

あの暴力的な映像に比べると、今回のお芝居はとてもこじゃれていて都会的だヮ。
主役が小栗君だからということもあるだろうけれど、
やはり河原さんの個性が出ていますね。
暴力シーンも暴力に見えないし(ダンスに見える)
グロいシーン、エロいシーンは美しい絵のようで、ほぼ無毒化されている。

それでも、やっぱり河原流の毒は感じます。
このお芝居、結末がキューブリックの映画バージョンとは異なっているのです。
なんでも、映画化された作品は、原作の最終章である第21章を省略して作られているそうです。
そして、その削除された第21章こそが、
原作者のアンソニー・バージェスの一番訴えたいことだったといいます。
そして、その「原作」のほうを元に演出した河原さんは、
何度もせりふで「こんなシーンは原作にはない!」「原作に忠実に!」などと
言わせています。
「消えた第21章」へのオマージュが河原さんの演出の肝なんでしょうかね。

今回のお芝居で日の目を見た「第21章」への賛否はいろいろあろうと思います。
私自身は、ちょっとぞっとしました。
小栗旬演じる主人公のアレックスは、18歳になったのを機に暴力から足を洗って結婚しようと考える。
そして過去の自らの悪行を、単なる「若気の至り」と位置づけ、
将来生まれてくる息子がもし自分のような暴力の道を進んでも
それを止めることはできない、と嘯くのです。

それまで舞台の上では、暴力的な若造とか専制的な政治家とかマッドサイエンティストとか
反体制作家とかが入り乱れて、近未来の横暴と混乱を演じていたというのに、
それが単なる超個人的な「若気の至り」に収束してしまう?
そしてそれが、輪廻していく?
いやあ、こう考えていくと、奥が深いです、このお芝居。

小栗君は頑張ってました。
舞台上での生着替えあり、歌唱あり、ダンスあり。
でも、蜷川のもと、カリギュラやら、佐々木小次郎やらを
魅惑的に演じていた小栗君にとっては、ちと残念な役だったかも?
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by fenmania | 2011-02-11 20:18 | 映画・演劇